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役者という職人になりたい/田崎小春

田崎小春
俳優

お客さんのほうが社会で戦っている

東京に来て、一度就職をしようと思っていました。わたしは大学で演劇サークルに入って演劇をはじめて、卒業してアルバイトをしながら役者をしていたのですが、劇中で起きるドラマよりお客さんの生活の中に切実さがあって、役をしているわたしよりもお客さんのほうが社会で戦っているよなぁと思って。

届けたい人たちよりも人として何かを積み重ねている自信がなくて、お客さんの心を揺さぶるものをつくるのなら社会に出て働いて、演劇をしているのとは違う視点で世の中と触れたほうがいいんじゃないかと思いました。

そう思ったのは、かたちは変わってもずっと表現をしていたいと思えたからで、昔は今演劇にしがみついていなければとよく掛け持ちで出演したりもいていました。

結局いろんな縁やタイミングが重なり就職せず演劇をしているのですが、、、。

去年から今年にかけて、演劇とはなれていた約一年間、いろんな場所に行きいろんな人たちと出会いました。その期間に出会った景色や人に支えられていることも多くて、見失いたくないことができた一年でした。

期間は長くないですが、一度距離を置いたことがわたしにはとてもよかったです。『Q学』は東京にきて二作品目の出演です。

表現の原点は母の英語教室

今は辞めているのですがお母さんが昔英語教育の先生をしていて、わたしも2歳から大学生までそこにいました。英語教育といっても英語を喋れるようになるという感じではなく、ことばを通してコミュニケーション力を育む、といった感じです。

教育プログラムのなかで、英語があまり分からない中学生ときに一カ月一人で欧米にホームステイもします。わたしは中学一年生のときにカナダに行きました。言語も文化も違う場所でもなんとかできる、大丈夫、という経験です。あ、でも本当に気をつけなければならないことはしっかり教わってから行きます。

あとは、教材に有名なものでいうとピーターパンやトムソーヤ、あとはシェイクスピアの作品など沢山の物語があり、主に英語と日本語で、いろんな年齢の人と物語で遊びます。表現の欲求はその経験が原点にあると思います。

高校生になると物語やコミュニケーションのワークショップを自分で考えてみんなでやりあったりして、当時演劇にはまだ出会ってないのですが今思うとそれってとても演劇ですよね。

いろんな年齢や文化の人になんとか自分の言葉を紡いで伝えようとする。何にも発せなくても、側にいるお兄ちゃんお姉ちゃんや先生は何かを教えるわけではなく、ちょっとヒントをくれてひたすら待って見守ってくれる。何かやっと発すると、まず発したことを喜んでくれる。

この経験があったから今怖がらず人と出会いにいけるのだろうなと思います。

大学生の頃は染織の学科にいたり絵を描くことも好きですが、コミュニケーションの欲求と表現の欲求とが演劇という表現を選択させているのだと思います。

私にとって観に行くのに覚悟がいるのが『Q学』

『Q学』は北九州での初演を観ました。とても感動して、終演後田上さんに挨拶をしながらも涙したのを覚えています。

高校生たちの魂が輝いてた。カッコつけたり装ったりせずありのままの存在の尊さやエネルギーで溢れていた舞台でした。

高校生ではない人で『Q学』をつくるオーディションをする、と聞いて、最初は絶対に勝てない!と思ったし、あの作品をもし自分が出て汚してしまったらどうしよう、、と思ったけれど、でも作品を観てガッカリしても感動しても悔しいな、と思ってオーディションを受けました。出てなくても観に行くのに覚悟がいるくらいとても好きな作品です。

田上さんは演劇愛と人間愛に溢れているなぁと思います。

豊という名前がぴったりだなぁと思います。田上さんはきっとどんな人でもその人の精一杯の輝きを舞台上に乗せれる人だと思うのですが、それに役者が太刀打ちできないとなると役者の存在理由がなくなってしまう。

今わたしが思っているのは、畳職人さんとか仏像を彫る職人さんとかみたいに、役者という、人を体現する職人でいたいなということ。大げさかもしれないけど、演劇に触れて、人に生まれてよかったなって、お客さんが、いろいろあったしあるけど全部ひっくるめてわたし愛しいな、って少しでも思ってもらえたら嬉しい。

器をつくる職人さんがいて、美味しいごはんを素敵な器で食べたらより豊かで嬉しい時間になるように、作品に触れたお客さんが、自分の生活に戻って自分がつくる時間がより嬉しくなるような力に少しでもなれたらいいなと思います。

だから『Q学』も役者がやるからこそ届けられるものがあるはずだと奮闘しています。

表現をすることを続けていたい。

演劇に絞らなくてもいいとは思っているのですが、役者をすることは、わたしのなかで人を諦めないことでもあるので、人間がいることを嬉しく思っていたいので、だから役者も生きている限りは頻度が減っても続けたいです。